お笑いコンビ『オアシズ』の大久保佳代子さん。
コンビそろって出演しているシーンをあまり見ないので、相方が光浦靖子さんだと知らない方も多いのではないでしょうか。
OL時代からテレビ出演をしていた大久保佳代子さんですが、バリバリのキャリアウーマンだったという噂が。
そもそもなぜテレビ出演していたのに、OLをしていたのでしょうか?
今回は大久保佳代子さんのOL時代について調べてみました。
そして溝の口勤務の会社とはどんな会社だったのでしょうか?
エピソードを交えてご紹介します。
大久保佳代子だけ仕事が無くOLへ?
大久保佳代子さんは大学生の時に幼なじみの光浦靖子さんとコンビを組み『オアシズ』とし活動していました。
その後プロダクション人力舎に所属し、早くも「新しい波」というバラエティー番組に出演するように。
しかし、後継番組「とぶくすり」には光浦靖子さんのみレギュラー出演が決まり、大久保佳代子さんには仕事が無い状態に。
当時のオアシズへの評価は「光浦は笑えるブスだが、大久保は笑えないブス」とされていたようです。
なんとも厳しい世界ですね。
オアシズとしての単独ライブや営業は続けていたものの実質、休業状態に。
そこで、大久保佳代子さんはOLとして働くようになりました。
大久保佳代子のOL時代の勤務先は?
大久保佳代子さんがOL時代に勤めていたのは『ベルシステム24』という溝の口にあるコールセンターの会社でした。
主にお客様からの問い合わせやクレーム対応をする業務だったようです。
この仕事は「時給がいい」「週3日から勤務可能」「勤務地が近い」という融通が利く仕事として単純に選んだだけだそうです。
当時、大久保佳代子さんは神奈川県の登戸に住んでいたので、家の近くである溝の口のコールセンターを選ばれたそうです。
ベルシステムでの仕事は、立ち上げメンバーだったという事もあり、「オープンに向けて頑張ろう」みたいな雰囲気で、学校のサークルの集まりみたいな感じで楽しかったと語られています。
大久保佳代子OL時代はバリバリのキャリアウーマンだった!?
大久保佳代子さんは入社当時、月曜~金曜の週5間働いていたそうです。
そして仕事に取り組む姿勢も真面目でした。
基本は「上司に電話を代わらない。自分のところで電話を留める」という気持ちで日々働いていたそうです。
本業は芸人のはずなのに腰掛で適当に働くのではなく、しっかりそこでの任務を果たしていた大久保佳代子さん、素晴らしいですね。
仕事ができた大久保佳代子さんはその後、リーダーになり、そしてスーパーバイザーという役職にまで就いたそうです。
新人研修をしたり、シフトの調整をしたりと多くの仕事を任せられるように。
当時を振り返った大久保佳代子さんは「週5日バリバリ仕事をこなすキャリアウーマンもどきだった」と。
ここまで仕事をこなせば「もどき」ではなく本物ではないのでしょうか。
大久保佳代子二足の草鞋を13年間も続ける!
多くの芸人の方が、売れる前の下積み時代はバイトに勤しんでいたのではないでしょうか。
大久保佳代子さんもその一人ではありましたが、みんなと大きく違っていたことは、売れた後もOLを続けていたという事です。
なんと、芸人とOLの二足の草鞋を13年間も続けていました。
人気番組であった「めちゃイケ」に光浦靖子さんのみが出演する日々が続いていましたが、次第に大久保佳代子さんも出演できるように。
そこでのポジションが『OLの大久保さん』というキャラだったので、できれば嘘はつきたくないから、OLを続けたかったんだそうです。
その結果、13年も粘ってしまい、37歳頃までOLをしてしまったそうです。
めちゃイケに出始めた頃の『OLの大久保さん』というフレーズは確かに印象的でしたね。
そして、芸人の仕事が無くても「ベルがあるうちは何でもできる」とも思っていたそうです。
まとめ:大久保佳代子 溝の口勤務のOL時代はバリバリのキャリアウーマンだった!?
今回は大久保佳代子さんのOL時代についてご紹介しました。
芸人とOLの二足の草鞋を履きながら、役職が就くほどしっかりと仕事をしていたことも分かりました。
デビュー当時は光浦靖子さんのみにスポットがあたり、不遇な時代を過ごしていた大久保佳代子さんというのも意外でした。
光浦靖子さんは現在留学されていますが、いつかまた二人が揃うところを見てみたいですね。